自由民主党 三重県支部連合会

2023年12月22日

青年局 超党派台湾訪問

日本青年台湾研修

2023年12月18日から22日まで台湾研修に参加して来ました。

18日の初日は羽田空港から台湾の松山空港へ。

松山空港から外交部へ訪問、外交部幹部による挨拶とプレゼンが行われました。

台湾の人口は2,326万人で台湾人は日本のことが好きだと答えた人は60%、その内の69%が日本に親近感を持っていると答えて居ます。 2019年のコロナ前のデータですが、台湾人が日本へ旅行に行った人数は491,1万人。 それに対して日本人が台湾に旅行に来た人数は216,7万人で台湾人の半数以下。 

日本人口は1億2512万人の216,7万人です。 いかに台湾人は日本が好きで日本に旅行しているか、日本人は台湾へ旅行人数が少ない、台湾に日本人が旅行に来て欲しいとの内容です。

次に崋山文創園(ファシャンイーシジゥイースーウェンチュアンユェンチェ)へ見学、1914年の日本統治に建てられた日本の「芳醸社」の建物。 その後、台湾総督府専売局台北酒工場となり現在では、クリエイティブアートの展示、劇場、映画館、音楽ホールとして使用されています。

次に国民党へ表敬訪問、国民党の顧問を担っている大学教授2名と国民党の報道を努めている30代の女性報道官が対応して頂きました。

国民党のプレゼンは具体的な事は無く、日本側の質問を求めて答えるスタイルでした。

日本側の質問で「国民党が政権を取った時には親中外交を行うのか?」、「台湾有事が起った時は、どの様な対応や行動を取るのか?」など、中国に関する内容の質問をしましたが、誤魔化しの回答で質問内容には答えては貰えず、国民党には顧問として大学教授を起用、党の報道官に30代の女性を起用して他党とは違い新しい試みを行っている事を強く強調していました。

19日の2日目、朝から台北駅に移動、台湾高鉄(新幹線)にて新竹へ移動。

新竹サイエンスパーク探索館へ、メイドイン台湾の製品紹介と説明。  サイエンスパーク(工業団地)内で生産されている完全メイドイン台湾が認められた製品のみが展示されて居ます。 メモリーチップから再利用出来るカプセル胃カメラ、水素燃料スクータと多種に亘って展示されていました。

次に新竹鉄道技術村へ移動。 1940年の日本統治時代に貨物倉庫として建てられ。 建物は赤レンガとモミトラス・セメント・瓦葺の建物で、内部には柱が無いトラス構造(天井部で、四角と斜めの組み合わせで屋根を支える構造)の独特な美しさが存在する建物です。 現在は、絵画や習字、陶器など新人アーチストの個展会場として利用されています。

建物の真横には電車や貨物列車が走って降り、その電車や貨物列車を見に来る人、写真を撮りに来る人、お茶を飲みに来る人と多彩な目的で来られている場所です。

次にガラス工芸博物館を見学。

1936年の日本統治時代に集会や歓迎会、迎賓館又は天皇、皇族、高官の住居として建てられた建物。 1945年には国民党政権の委員住居として使用、1970年代には憲兵隊の建物として使用され、1990年代に新竹ガラス工芸博物館に改装され使用されています。

エントランスの屋根を見上げると菊の御紋の骨組みに作られています。

憲兵隊が使用していた留置所が残っており建物の所々に時代を感じる所が今も保存されています。 博物館内にはガラスの花瓶からお皿、魚や動物と様々な作品が展示されています。

2日目最後は、新豊マングローブ生態保護区へ見学。 面積8,5ヘクタールで新竹県新豊鎮の紅毛河の河口近くに位置し、台湾北部に唯一海茄苳(ヒルギダマシ)とマングローブが混合して生育する場所。 海岸湿地の豊かな生態系を維持でき、防風、海潮の浸食を耐える機能があると言われています。 そして、カニなどの生物に優れた生息地だそうです。

20日の3日目は朝から新竹駅に移動、台湾高鉄(新幹線)にて台北へ移動。

台湾高鉄(新幹線)は片道乗車時間が1時間、研修プランに台湾高鉄を乗る様に計画が立てられている事から台湾の人達は台湾高鉄(新幹線)が走っている事に誇りに思っているのが良く解りました。

国際事務学院へ移動、国立台湾師範大学東亜学系教授 林賢參「東アジアの情勢と台日関係」の講義をして頂きました。

産経新聞社台湾支局長・作家 矢板明夫さん「台湾の安全・日本の未来」の講演をして頂きました。

矢板さんは中国特派員の時に中国の人権問題や経済状況の現実を伝えたことで10年間、中国から出国出来なくなった有名記者です。 台湾有事が起る前に朝鮮半島有事が起る。 北朝鮮がミサイル発射は中国の指示が有り、北朝鮮がミサイル発射後に中国は何らかの動きをみえせる。 台湾選挙で台湾独特の社会風習が有る、台湾独立派が30%で民進党支持、中国統一派が30%で国民党支持、40%が現状維持派に分類される。 民進党も国民党も現状維持派の40%を取り合いしている状態。 40%の動きが注目ですが、台湾人には2期8年で政権交代を行うべきと言う考えが有り、民進党は2期8年目に当たるため国民は交代すべきと考えている国民が居る。 過去に、国民・民進党政権時代に不正や腐敗が横行していた事から考える様に成ったことから長期政権が起りにくい。

次に士林官邸へ移動。 士林官邸は蒋介石とその妻である宋美齢が46年間にわたって使用いていた旧公邸と庭園です。 旧公邸は当時、使用していた書斎や客間、寝室にお風呂、書籍、蒋介石の軍服、宋美齢の服がそのまま保存され展示されています。 庭園はヨーロッパ風のロマチックな雰囲気で、バラ園となって居ますがバラの咲く時期では無かったのでロマチックな雰囲気を感じる事は出来ませんでした。

3日目最後は、中正紀念堂へ移動。

蒋介石総統を記念するのに建てられた中正紀念堂は台北の中心部に位置しており、面積が24.79ヘクタールで、北京の天壇の頂上のような形でピラミッドのコンセプトを導入して建てられた建物です。 ホールには蒋介石総統の座り姿の銅像が有ります。

時間で憲兵の交代式が見る事が出来ることが観光スポットになっており、奈良県の高校生が修学旅行に来ていました。

21日の4日目、朝一から第三の政党である民衆党へ表敬訪問。

陳以信さんからは民衆党の指示層は若者が占めている、台湾の物価上昇、特に台北市でマンション購入には最低1億円無いと購入が出来ない現状で若者が苦しんでいる状況を変えていきたい事をアピール。

 周台竹さんは自民党始め各党の方々が訪問された事と、日本へ行って政財界の方々とお会いになった説明。 陳世軒さんは現在、民衆党の新北市議員で2世、父親も新北市議員だが国民党の議員で親子が違う党に在籍していることから民衆党は柔軟な党である事をアピールしていました。

 陳世軒さんには8月に自民党台湾パラオ研修で初めてお会いし、今回は再会であることをお伝えしたら非常に喜んで頂きました。

次は総統府へ移動し総統府を見学。 私自身は8月の自民党台湾パラオ研修で蔡英文総統、頼清徳民進党主席にお会いした時は何も無く総統府に入りました。 今回は正式な入場でしたのでパスポートが必要、金属探知機を通り荷物検査を受けて入場。 総統府は日本統治時代の1919年3月31日に完成した建物で長野宇平治さんが設計され台湾総統府として利用されていた。 第二次世界大戦末期の1945年5月31日にアメリカ軍の空爆によって内部が全焼。 大戦終結後に中華民国政府が接収し、修復を行ったため1948年の元に戻った。

1963年に室内の大理石を補充したのに続いて1978年と2001年にも庁舎を大規模修理な行い現在も使用している。

次は外交部の大陸委員会へ移動。 大陸委員会は中国の動きを監視、調査している部署です。 中国政府から国民党へのお金の流れ、台湾選挙に対す関与、TikTok監視など、あらゆる動きを監視分析しています。 現在、TikTokを使った選挙活動が活発に行われています。 

民進党を攻撃するような内容、国民党は優秀であるような内容を流しているとの事です。 台湾有事が起る前に朝鮮半島有事が起る、北朝鮮のお後ろには中国が居る。

北朝鮮が何らかの動きを見せた後に中国の動きが有ると言っていました。 20日に産経新聞社台湾支局長の矢板さんが仰っていた事と同じ事を言われている。

4日目最後は故宮博物院へ移動。 国立故宮博物院は1965年に外双渓に中国の宮殿風の建物が完成。

1階から3階までが展示スペース、4階は茶室「三希堂」がある。 中国の宋、元、明、清時代の文物の芸術品が70万点収蔵されており、3ヶ月から半年の間隔で展示物が入れ替わりますが、一生掛かっても70万点全部見ることは出来ないと言われています。 故宮博物院には2種類の故宮三宝である。 1つは数年おきしか展示されない北宋時代の三つの巨碑式水墨画と、もう一つの三宝は翠玉白菜、肉形石、毛公鼎です。 巨碑式水墨画は展示されて居らず、翠玉白菜と肉形石は台南へ出張中で見ることは出来ませんでした。

5日目の最終日は朝一、民進党へ表敬訪問。 民進党青年部の4名が対応して頂きました。

民進党と国民党が拮抗している状態についての説明と中国が台湾選挙に関与している内容。 台湾有事に対する警戒心、台湾経済問題について説明が有りました。

経済部国際貿易暑へ表敬訪問。

経済部国際貿易暑のプレゼンでは台湾にはTSMCや鴻海など世界に通用するような企業が出てきている。

環境やエネルギーに関しても太陽発電が増えて電力エネルギーは十分に賄えてCO2排出にも考えている。 半導体製造には多量の水が必要とするが、水源確保もされて環境問題にも取り組んでいる。

  台湾にはまだまだ企業を受け入れる余裕が有るので日本企業は台湾に進出して欲しいとの説明でした。

その後、松山空港から羽田空港にて帰国いろいろと考えさせられる台湾表敬でした。