自由民主党 三重県支部連合会

2024年05月06日

能登半島震災ボランティア

 

令和6年5月3日から5月6日にかけて、私たち自民党三重県連学生部は能登半島の震災ボランティアに参加させていただきました。

 

初日は県連を9時半過ぎに発ったので、現地(石川県鳳珠郡穴水町)に着いたのは17時過ぎでした。この日は到着も遅かったためボランティア活動はせずに夕食と入浴を済ませて宿舎で1泊しました。

ボランティア活動はしませんでしたが、町中を車で移動しているだけでも倒壊した家屋やひび割れて隆起した道路などが視界に飛び込んできました。

ちなみに、夕食をいただいた「八幡のすしべん 穴水此木店」は石川県のローカルチェーン店で、ファミリーレストランとコンビニのような小売スペースを1つの店舗内に有するという変わった店舗形態をしていました。入浴に関しては「のとふれあい文化センター」の大浴場が入浴困難者向けに開放されているので、そこでお風呂に入りました。穴水町にいる間は毎日この2つにお世話になりました。

2日目、7時半に宿舎を出発してボランティアの本部が置かれている「穴水町さわやか交流館 プルート」に向かい、そこで社会福祉協議会のボランティア登録を済ませました。

ボランティアの活動内容は、その日までに本部に依頼があった案件を必要人数、軽トラックを運転できるかどうか、自家用車を出せるかどうかなどを基準にして午前の活動なら当日の朝8時から9時、午後の活動なら当日の13時前後に各々に割り振られます。

また、ボランティアの活動時間は8時から12時、13時から15時半です。学生部+αで7名での参加だったので、この日は2手に分かれての活動となりました。

私がいたチームはこの日、午前中はゴルフ場で作業をしました。ゴルフ場に入るとまず目にしたのが、大きく崩れてしまっているグリーン。

美しい緑には不似合いな茶色の土壌が剝き出しになっていて、地震の激しさを物語っていました。作業自体はクラブハウスで廃棄物を回収するだけだったので特別危険なことはありませんでしたが、やはりグリーンの様相はかなり衝撃的で印象に残っています。

ゴルフ場での作業を終えて昼休憩に入ると、我々は「ウイングなかり」という呉服店に向かいました。ここの駐車場でボランティア向けの炊き出しが行われているので、ありがたく昼食を頂きました。

また、「ウイングなかり」は呉服店でありながら店舗内にベーカリーも併設していて、美味しいパンを頂くこともできます。カレーパンが一番人気で、とても具沢山かつ衣がサクサクでおいしかったです。こうして昼食を済ませた後、午後の作業に向かいました。

午後の作業内容は民家からの廃品回収で、依頼された方のお宅に着くとそこにあったのは立派な古民家でした。敷地の中を少し進むと跡形もなく崩れた蔵がありましたが、幸いなことに家は無事とのことでした。

作業を終えた後、依頼主のおばあさんが被災した後のことを色々と話してくれました。

震災が起きてすぐ駆け付けたボランティアの方々は1月29日には現地入りしていたそうです。

話の最後に、私が着ていた自民党青年局のジャケットを指して「自民党って書いてあるから色々と話しちゃった。」とおっしゃっていただきました。

被災された方々の役に立つためにボランティアをしているはずが、むしろこちらが元気をもらってしまいました。15時に午後の作業を終了して2日目の活動を終えました。

3日目も7時半過ぎに宿舎を出て、前日同様にボランティアの当日受付を済ませて活動に向かいました。この日は、午前の作業に関しては学生部全員が同じ場所に赴きました

。みんなで向かった先は穴水陸上競技場、そこには仮設住宅がかなりの棟数建っていました。

2トントラックに積み込み作業をしながら、一緒に作業していた他のボランティアグループの方とも交流しました。若い方や学生のボランティアも意外と多かったです。

陸上競技場での作業後、ボランティア用の炊き出しで昼食を頂いてから、二手に分かれて午後の作業に取り掛かりました。午後の作業は一軒家からの畳やその他廃棄物の運び出しでしたが、これが中々大変でした

。作業をした一軒家の隣の家屋が傾いていて、その一軒家に倒れ掛かっている状態でした。そのせいか、二階の畳が雨漏りで濡れていてとても重くなっていました。

成人男性3人がかりでやっと運べるくらいの重さの畳を二階から玄関前に運び出しましたが、一瞬命の危険を感じる程度に大変でした。

ただ、もう片方の学生部チームは2日目の作業で金庫を運んだらしいので、それに比べれば大したことはなさそうです。この作業を終えて本部に戻ってから、まだボランティア活動の終了時刻まで時間があったので、本部の裏手にある一軒家からゴミを運び出しました。こうして3日目も活動を終えましたが、午前中に陸上競技場で仮設住宅をたくさん見たからか、穴水町の町中を車で移動しているときに仮設住宅がよく目に入りました。1,2日目は気づきませんでしたが、町中にも多くの仮設住宅やトレーラーハウスがあることに気づきました。

4日目は最終日ということもあり、午前中のみの活動でした。これまで通り手続きを済ませて、学生部全員に加えて他3名の方と民家に向かいました。作業内容は廃棄物の運び出しと家財道具の移動でした。

倉庫から様々な廃棄物を運び出していき、最終的な量は軽トラック4,5台分にも上りました。また家財道具を移動させる際、民家の二階に上がりましたがカメムシが大量発生してるらしく、おびただしい数のカメムシの死骸がありました。

この案件も3日目の濡れた畳とはまた違った大変さがありました。そして作業終了後はボランティア用の炊き出しで昼食を取りました。この日はいつもの炊き出しとは違い、アフリカから来られた方々がアフリカ料理を振る舞っていました。カレーのような料理で、スパイスの効いた鶏肉とたっぷりのグリーンピース、なすが入っていました。とてもおいしかったです。炊き出しをされていた方と少しお話をしましたが、その方はウガンダ出身で現在は愛知県で暮らしているとおっしゃっていました。

炊き出しをされていたアフリカから来た方の中には、難民申請中の方もいらっしゃったそうです。遠い異国の地に来て、自身も大変な状況であるにも関わらず被災地でボランティア活動をされている姿を見て、自分もまだまだ甘いなと思わされました。昼食を済ませてすぐに穴水町を発ち、7時間ほどかけて三重県に帰りました。こうして三重県連学生部の能登半島ボランティアは幕を閉じました。

この4日間を通して感じた率直な感想は、ボランティアでは限界があるということです。確かにいろいろなことを体験した濃い4日間でしたが、同時に私たちにできることの限界も見えてきました。

実際、ボランティアが被災者の方々の役に立ているのは間違いないと思います。しかし、ボランティアはあくまでもボランティアです。危険な現場には行けませんし、多くの人が専門業者のような技術を持っているわけではありません。立場的にも技術的にもできないことがあるということです。

さらに、ボランティアを受け入れる自治体にも物資の制約がありますし、ボランティアを取りまとめるボランティア団体(今回の場合は社会福祉協議会)にも業務上の限界があります。かと言って、ボランティアではなく業者を呼ぶには資金も、そもそも業者の数も足りないのが現状です。復興に向けてボランティアにできることはもっと無いのか、自治体はどのような取り組みをすべきなのか、貴重な体験と共に多くの宿題も持って帰ることとなったボランティアでした。

しかし、最後にこれだけは全国の学生に伝えたい。

人の役に立たないボランティアなんて存在しないんだ。

時間も体力もある学生のうちにしかできないことかもしれない。

「どうせ自分一人が頑張ったところで。」なんて頭を動かす暇があるなら、まず体を動かしてみないか。考えるのはそれからでも遅くはない、と私は思う。