令和 5 年 8 月 20〜28 日にかけて自民党青年局海外研修として台湾・パラオへの訪問が行われ、学生部も参加させていただきました。
1 日目
1 日目は故宮博物院へと訪れました。この施設は世界四大博物館の一つであり、古代から各王朝時代の芸術品が並ぶ非常に大きな建物でした。
残念ながら目玉のひとつである白菜は見られず少し残念でしたが、王朝どころか各皇帝の治世によって芸術の様式が異なるという発見もあり、大変興味深い時間でした。
2 日目
2 日目は総統候補である頼清徳さん、候友宜さん、柯文哲さんの御三方に表敬させていただきました。
まず初めに、台湾民衆党の党主席である柯文哲さんにお会いしました。柯文哲さんが抱く台湾に対する今後のビジョンや対中姿勢、対日姿勢など、様々な考えをお伝えいただきました。柯文哲さん自身が医師であるのも相まってか、個人的には知性やカリスマ性を感じ、若者からの支持を集めるのも納得がいきました。
次に、頼清徳さんにお会いしました。頼清徳さんは現副総統であり、また民進党の党主席でもあります。7 月の世論調査において、頼清徳さんは支持率が最も高く、同時に民進党の支持率も 3 つの政党の中で最高でした。表敬では民進党党主席として、また現副総統として様々なお話をしていただきました。
世論の支持を最も集めているだけあり、応対に終始余裕を感じました。ただ、立場上慎重な発言が求められるのか、無難な内容に留まることが多かったように思います。
午後になり、新北市庁舎にある災害対応センターで候友宜さんに表敬いたしました。候友宜さんは新北市の現市長かつ国民党の総統候補です。候友宜さんは元警察官のいわゆる叩き上げで、3 候補の中で最もエネルギッシュな印象を受けました。
候友宜さんの政治観や台湾に対する思いだけでなく、災害対応センターのシステムについてもお教えいただきました。前述の通り、候友宜さんは叩き上げなのでとても気さくで明朗な方でした。各候補に鈴木局長がけん玉をお贈りしていましたが、何度も挑戦していたのは候友宜さんだけで、それも印象深かったです。
3 日目
3 日目は蔡英文総統と表敬を行いました。蔡総統は多くの私たちの質問に答えてくださりました。中でも「中央は民進党、地方は国民党が支持を得ている中で、有事の際は連携できるのか」という質問に対し、
日本でも議論が進められている緊急事態条項のような形で中央と地方の連携をとるという話があり、とても印象に残りました。
午後には李登輝元総統の墓参りと台湾大学の視察として磯英吉小屋を見学しました。
李元総統は国民党発の総統として台湾の民主化を推し進めた方です。お墓は山の台北市を一望できる場所にあり、まるで今でも台湾を見守っているかのようでした。
磯英吉さんは戦前、台湾の米を研究した方であり、現在の台湾で主流になっている蓬莱米は彼が開発したものでした。日本人が今日までの台湾の人々の食糧を支えるコメを作ったと考えると非常に誇らしく感じました。
4 日目
8 月 23〜26 日にかけてはパラオに訪問しました。パラオはミクロネシアにある島国であり、国土面積は日本の屋久島と同じくらい、人口は約 1 万 8 千人という小さな国です。
第一次大戦後から第二次大戦終戦までに日本の委任統治領となっており、その時の治世が良かったことや第二次大戦時に日本兵が命懸けで島民を守ったことなどから、日本に対してとても好感を持ってくれている国の一つでもあります。なぜ私たちがこの地を訪れるのかと言うと、対中国戦略が関わっています。現在、中華人民共和国(中国)の太平洋戦略において 2 つの列島線が重要となっています。
ひとつは日本・台湾を含む第一列島線、もうひとつはその一歩先にある第二列島線。
その中で要所となるのがパラオです。そのため中国はこのパラオを自陣営に引き込もうとしています。そのため、私たちがパラオに訪問し、日パの結びつきを強める必要があったのです。
まず、私たちはパラオのロマン・トゥメトゥール空港に降り立ちました。空港を出てまず驚くのが日本者の多さ。パラオには中古の車をよく使っており、特に日本車は長く走るため人気だそうです。
5 日目
パラオ 2 日目には、ペリリュー島に行きました。ペリリュー島は第二次世界大戦の際に日米が大変な激戦を繰り広げた場所であり、約 1 万人もの日本人がこの地で亡くなっています。そのため多くの墓や慰霊碑がある他、現在でも当時の兵器や英霊達の遺骨が残る場所です。
ペリリュー島に行く途中の船ではサンゴ礁の海が広がっており、エメラルドグリーンの海面やマングローブの木など、日本では絶対に見られない光景に大変興奮しました。
ペリリュー島内の当時の建物には数多くの弾痕が残っており、洞窟の入り口には火炎放射器を浴びた跡があるなど、当時の戦争の悲惨さを身に染みて感じました。
私はこのペリリューにて、日本を守るために命懸けで戦った英霊達に感謝を述べるとともに、自分たちの先祖が守ったこの日本を自分たちも次世代に繋いでいくという決意を胸に慰霊を行いました。
6日目
パラオ 3 日目にはパラオの国会議事堂を視察しました。パラオの国会は上院 13
名、下院 16 名の計 29 名であり、議事堂の様子はまるで地方議会とそっくりでした。
中でも驚いたのは議員の中に「Umetaro」という名前の方がいらっしゃり、
現在でも日本風の名前の方がいらっしゃることに親日を感じ、少し嬉しく思いました。その後、日本・パラオ・台湾の国会議員によるパネルディスカッションが行われ、日パ台の繋がりの重要性を再確認しました。
午後には、パラオのリサイクルセンターに訪れました。そこでは捨てられているビンを新しいガラス細工にしたり、プラスチックから軽油を産み出したりする現場を視察しました。
1 キロのプラスチックから 1 リットルの軽油を取り出すことができるそうで大変画期的だなと感動しました。
7 日目
4 日目には、ビーチクリーン活動として海岸のゴミ拾いを行いました。タバコや他に少し大きめのゴミはあったものの、日本に比べればよっぽど綺麗なビーチでした。その後はサンゴ礁センターを視察し、現地のサンゴ礁を守る活動を聞き、実際に水槽に入ったサンゴを見ることもできました。日本の水族館のような造形されたものではなく、リアルな姿の海洋生物を見ることができ、とても美しかったです。
その後、解団式を経て台湾に戻って行きました。
パラオ訪問を通して 1 番感じたことは、日本人がもっとパラオについて関心を持つことが必要であるということでした。私のパラオに対する認識は、「国旗が似ている」程度の薄いものでした。
おそらく多くの日本人がそのような現状なのかなと思います。しかし、パラオでは若い人ですら日本語を使う人がいたり、委任統治時代にペリリューに建てられた神社が現在も残されていたりするなど、パラオの人々からの日本への想いはかなり大きいものであるということを今回の研修で実感しました。
パラオには今回のような慰霊地だけでなく、ダイビングなどやサンゴ礁など観光資源も数多くあるため、非常に楽しめる場所です。一刻も早く日本からパラオへの直行便を繋げて、多くの日本人が旅行をすることで日本とパラオの関係を深めていくきっかけとなるのではないでしょうか。
8 日目
最終日はガイドさんに率いられて台北市を観光しました。いくつかの寺院を巡りましたが、お寺にあまり興味がない私にとって最も印象深かったのは忠烈嗣の衛兵交代式でした。
忠烈嗣は日本で言うところの靖国神社のような場所で、戦没した兵士を英霊として祀っています。私達はそこで衛兵交代式を見学しました。猛暑の中、どう見ても暑いであろう服装を身に纏い、凛々しい表情で一糸乱れぬ行進やパフォーマンスをするその姿には、鬼気迫るものを感じざるを得ませんでした。
やはり、衛兵の皆さんは英霊たちに多大な敬意を抱いているのか、警備に当たる際も直立不動で瞬きすらあまりしていませんでした。最も訓練されている者が衛兵として忠烈嗣の警備に当たると教えていただきましたが、それと同時に最も覚悟がある者がこの職務に当たるんだろうなと、ふと考えさせられる体験でした。
最後にはなりますが、この研修の開催に際しご尽力いただいた青年局の方々、党本部職員の皆様、そして台湾・パラオ政府の関係者の皆様、本当にありがとうございました。